2011/03/31

本当にありがとうございました。



3月30日に閉め切りました義援金は合計396,452円集まり、
3月31日付で全て赤十字社の東北関東大震災義援金口座に振り込ませて頂きました。
2,500着のウェアも含め、ご協力本当にありがとうございました。

復興には相当な時間が掛かります。
ここからが本当の意味での「自分に出来る事」の始まりです。
ウエアをを送り義援金を振り込んだ事で満足し震災を風化させる事なく、
この先も各個の気持ちや行動でサポートを続けて行きましょう。

全ては明るい未来へ向けて。

みなさん本当にありがとうございました。
JOYDIVISION.GmbH. 代表:高田昭義

2011/03/30

Mastering



今回のRecエンジニア福ちゃん。
マスタリング中。。。

2011/03/29

Last Night

at last night.

2011/03/28

IN MOTION & PICTURES

BYSDNTCRY.® KAMERA CLUB BERLIN

2011/03/27


本日はSBN塚田さんとミーティングだったけれど、結局ミーティングすべき内容には触れていない。これは15年前からの事で、僕達にとって「ミーティングのタイトル」なんて、会う為の口実の様なもの。お互いその内容を十分理解しているので、ただ2人が会う事に大きな意味があり、本来の目的よりも大きなエネルギーを生む。
夜、CASPERの全ての歌詞を担当する小滝潤也氏と、RECが終わり現在マスタリング中の音源についてミーティング。僕も少し文章を書くけれど、この人の世界を見た瞬間、全く太刀打ち出来ないと感じたのを今でも鮮明に覚えている。

録音する事が決まってから僕はずっとベルリンにいて、楽曲の創作からは離れていたけれど、言葉ではなく、ただ自分のイメージを写真という形でベルリンから送り続けた。

そんな遠距離恋愛のような作業から生まれた曲や詩。
最後の曲"SCARLET HAZE"は、それぞれの脳内残像が重なり、
僕が思う以上に深く冷たく美しかった。

Transworld BMX April!!!


TransWorld BMX magazine USAにYork Uno (ARES BYKES / UG. / redi.)
世界で一番発行されているUSAのBMX マガジンに1p。
モナコで撮られた写真のカメラマンはGreen-G。
胸のメッセージは"StrUGgle For Existence"「生存競争」。
こんなタイミングで世界に日本のポジティブをアピール出来た事に感謝。
ありがとうYork!

2011/03/26

一年以上前から進めて来た企画も間近。
他にも進行中のショーや出版のスケジュールが重なって迫り、
止めどなく溢れるイメージがバラバラに散らばったままのアトリエ。
まずは頭の中の整理と深呼吸。

1988!

もう随分昔で記憶微かな過去の話だけれど。
2008年、モンマルトルの麓でショーを開催したフランス(パリ)の電源供給の80%以上は原子力発電。なぜフランスが懸命なのかは察する通り。

同じく、日々行き来するロンドンでは政策に対する憤りが爆発しアナーキストによる暴動が勃発。トラガルファー広場は戦場と化し、ロンドン同時多発テロを思い起こさせる景色が広がっている。

今、生活するベルリン(ドイツ)では日本の地震後すでに7基の原発を停止したけれど、
今だドイツでは25万人規模の反発デモが勃発。ベルリンだけでも5万人のデモ。

一方、同時に、フランス、イギリス、アメリカなどからなる多国籍軍がリビアを空爆しているのも同時間軸の現実。

そして、非先進国が日本をサポートしないのは当たり前。
自国が通年被災以下の生活レベルなのに他国を支える余裕なんて無いのが本当の所。
日本人の「自分も大変なのに、それでもやってやった的」同情は絶対に止めてほしい。
今までも。これからも。愛国感情だけではなく、全ての事実を風化させてはいけない。

2011/03/25

2011/03/24

2011/03/23

2011/03/22

Rec Days!


計画停電に惑わされながら。
自家発電を使ってレコーディングの再開。
(奥)Dacky
(左)Yoppy
(中)背筋全日本チャンピオン(笑)
(右)Kyoko

Every Third Thursday


Let It Be♩mau(BYSDNTCRY.) & Kyoko(CASPER)

2011/03/21

from India


インドのタクシー。
「MADBUNNYはインドでも愛を運んでるぜ」って。
嬉しいメール。

3日間で2,300kmも走らされたトラックも何だか嬉しそう。
真っ暗な峠でタカシと出会えたのもこのステッカーのお陰。
LOVE.は災害とは関係なく春にリリースする予定だったBYSDNTCRY.のステッカー。
皆の愛を運ぶ使命を感じLOVE.を掲げ走りました。
いざと言う時。
口をつぐみ。
自分の力の無さを認めず、それを「スタイル」と言うプライドで誤摩化す輩。
理想と現実を主観で錯覚する結果、国土の半分が壊滅状況でもプライドを捨てられない人。

人は見かけによらない。
良い意味でも悪い意味でも。

会社的、時間的、体力的な物理的な現実や数千体の遺体が転がる現場を体感していないのにも関わらず、その全てを知ったような主観からのその発言も。

答えは(自分も含め)発言した本人が受け止めるべき現実。
それが「未来」

2011/03/20

Give Me Back Your DETAILS ご報告


緊急車両用の海岸線を田老町から陸前高田市までUG.の倉庫を出発して1,600km
3月20日昼間のうちに1500着のウェアを直接僕の手で手渡し完了しました。
企業やスキー場から届いた600枚は山形県庁に入り宮城県と岩手県それぞれの避難所に。
最後の400枚は東北道ルートで宮城県に運搬済みです。
賛同してくれた皆さんの温もり約2500着のアウターウェアが無事届き、
一人でも多くの被災者の皆さんが温かくなれる事を祈りたいと思います。
避難所ではすぐに配布されていたので寒波の到来には間に合いました。
被災地ですが最高に喜んでくれている方々の笑顔がとても印象的でした。

今回の便に間に合わなかった方も各地で物資の受付が始まっていますので各自最寄りの信頼出来る所にお願いして下さい。被災地を廻って色々な人と話し、改めて「被災地だから何でも良い」という感覚は絶対に無しです。出来るだけ綺麗で清潔な物を送ってあげて下さい。
それから、集めている場所が何を集めているのか理解し的を得た発送を心がけるのも最低限のマナーです。
暗くなり盛岡に戻る頃、冷たい雨は雪へと変わりました。
これから一旦盛岡へ戻り書類の整理、ヘルプしてくれた方々へ挨拶をし帰ります。

この度は、皆さんの温かく早急なご協力、本当にありがとうございました。

そして、僕からではなく被災地の皆さんから、ウェアを提供して下さった全ての皆さんへ。
真っすぐ本当の「ありがとうございます!」をお伝えします。

集計、寄付し次第このBlog内で報告させて頂きます。

また、この記事にて参加した全ての人へのお礼と報告を兼ねさせて頂き、心からの御礼を申し上げます。
みなさん本当にありがとうございました。
JOYDIVISION.GmbH 代表 高田昭義

ps / 戻り次第、自分の会社とアトリエを復旧し、僕なりに出来る事、僕がやるべき事を頑張りたいと思います。震災から全ての業務を停止しご迷惑をお掛けした皆さま、引き続き頑張りますのでよろしくお願い致します。
未来の笑顔へ繋げる為に。
瓦礫も遺体も関係なく、かろうじて通れるようにした「命を繋ぐ道」



豊間根保育園はまったく物資が届いておらず、隣町の情報もない孤立状態。


大船渡に向かうのは自衛隊と僕らのトラックだけ。

宮古北高では遺体安置所の横で物資の受け取りを行ってくれた。
立っているように見える家は全てどこかから流されて来た家屋。


瓦礫さえ引き潮で持っていかれ更地と化した街。
奥に見えるのは野球場のスタンド。
避難所では避難している人達が皆率先して荷物を運んでくれる。
中里さん(READYMADE)の完璧なローカルラインで被災地へ。
各避難所の場所や人数はTomo (JOYHOLIC)が調べてくれた。

18日の時点では45号線が全滅していたので宮古市以外に物資が届いていない。
本日19日朝。今日から緊急車両だけが45号線を何とか通れるはず。との情報。
いかに物資が届いていない寒い避難所にウェアを届けられるか。が勝負。
まずは宮古から北の田老町を目指し、そこから荷物を下ろしながら陸前高田を目指します。



20日早朝から被災地に入っており電波が無く更新不可能です。

被災地の現場はTVでは映せない想像を絶する酷さです。

瓦礫を除け、なんとか緊急車両の通行を可能にした45号線を、

田老町~宮古市~山田町~大槌町~釜石市~三陸町~大船渡市~陸前高田市の順に南下中。


確実に各避難所に直接手渡しで皆さんのウェアを届けています!

今夜の予報は雪。

雪が振る前に!

2011/03/19

18年に一度の奇跡のフルムーンに照らされ峠を行く。
真っ暗闇の峠の途中、タカシから電話。
「今、MADBUNNYのトラックとすれ違った!戻るわ!」
久しぶり。お互い少し大人になったね。色々ありがとね!
Thanks Takashi(TRANSMIT/RIDE)



最初に目指すはREADYMADE本社である盛岡。
READYMADEのボスである中里さんは若き頃海沿いに住んでいたこともあり、
現在も被災地である陸前高田に、波が上がれば通い詰めるロングボーダー。
盛岡からは中里さんのナビで完璧な動きを目指します。
地震の為通行止めになってしまった高速を下ろされてしまったが、
山形、後藤君(UPBEAT)のナビでスムーズに市内へ。
UPBEATでウェアをピックアップ。
途中、タカシから電話「あっくん、山形の警察で緊急車両取れるから行ってみて!」
無事緊急車両証をゲット!
既に亡くなってしまった知り合いもいるけれど。
まだまだ沢山の仲間達が待ってる海沿いへ向け。