2011/03/20

Give Me Back Your DETAILS ご報告


緊急車両用の海岸線を田老町から陸前高田市までUG.の倉庫を出発して1,600km
3月20日昼間のうちに1500着のウェアを直接僕の手で手渡し完了しました。
企業やスキー場から届いた600枚は山形県庁に入り宮城県と岩手県それぞれの避難所に。
最後の400枚は東北道ルートで宮城県に運搬済みです。
賛同してくれた皆さんの温もり約2500着のアウターウェアが無事届き、
一人でも多くの被災者の皆さんが温かくなれる事を祈りたいと思います。
避難所ではすぐに配布されていたので寒波の到来には間に合いました。
被災地ですが最高に喜んでくれている方々の笑顔がとても印象的でした。

今回の便に間に合わなかった方も各地で物資の受付が始まっていますので各自最寄りの信頼出来る所にお願いして下さい。被災地を廻って色々な人と話し、改めて「被災地だから何でも良い」という感覚は絶対に無しです。出来るだけ綺麗で清潔な物を送ってあげて下さい。
それから、集めている場所が何を集めているのか理解し的を得た発送を心がけるのも最低限のマナーです。
暗くなり盛岡に戻る頃、冷たい雨は雪へと変わりました。
これから一旦盛岡へ戻り書類の整理、ヘルプしてくれた方々へ挨拶をし帰ります。

この度は、皆さんの温かく早急なご協力、本当にありがとうございました。

そして、僕からではなく被災地の皆さんから、ウェアを提供して下さった全ての皆さんへ。
真っすぐ本当の「ありがとうございます!」をお伝えします。

集計、寄付し次第このBlog内で報告させて頂きます。

また、この記事にて参加した全ての人へのお礼と報告を兼ねさせて頂き、心からの御礼を申し上げます。
みなさん本当にありがとうございました。
JOYDIVISION.GmbH 代表 高田昭義

ps / 戻り次第、自分の会社とアトリエを復旧し、僕なりに出来る事、僕がやるべき事を頑張りたいと思います。震災から全ての業務を停止しご迷惑をお掛けした皆さま、引き続き頑張りますのでよろしくお願い致します。
未来の笑顔へ繋げる為に。
瓦礫も遺体も関係なく、かろうじて通れるようにした「命を繋ぐ道」



豊間根保育園はまったく物資が届いておらず、隣町の情報もない孤立状態。


大船渡に向かうのは自衛隊と僕らのトラックだけ。

宮古北高では遺体安置所の横で物資の受け取りを行ってくれた。
立っているように見える家は全てどこかから流されて来た家屋。


瓦礫さえ引き潮で持っていかれ更地と化した街。
奥に見えるのは野球場のスタンド。
避難所では避難している人達が皆率先して荷物を運んでくれる。
中里さん(READYMADE)の完璧なローカルラインで被災地へ。
各避難所の場所や人数はTomo (JOYHOLIC)が調べてくれた。

18日の時点では45号線が全滅していたので宮古市以外に物資が届いていない。
本日19日朝。今日から緊急車両だけが45号線を何とか通れるはず。との情報。
いかに物資が届いていない寒い避難所にウェアを届けられるか。が勝負。
まずは宮古から北の田老町を目指し、そこから荷物を下ろしながら陸前高田を目指します。



20日早朝から被災地に入っており電波が無く更新不可能です。

被災地の現場はTVでは映せない想像を絶する酷さです。

瓦礫を除け、なんとか緊急車両の通行を可能にした45号線を、

田老町~宮古市~山田町~大槌町~釜石市~三陸町~大船渡市~陸前高田市の順に南下中。


確実に各避難所に直接手渡しで皆さんのウェアを届けています!

今夜の予報は雪。

雪が振る前に!